【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.48:蘭庭院(曹洞宗)】
【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.48:蘭庭院(曹洞宗)】
蘭庭院は山号を金平山(きんぺいざん)といい、津軽為信の重臣兼平中書綱則が亡き妻の菩提を弔うため、自分の領地であった兼平に建立したと言われています。この兼平は、種里城主大浦光信の次男、兼平伊豆守盛純を始祖とする兼平氏の領地でもあります。兼平の古地図には、兼平天満宮の北寄りの山腹に寺跡が記されており、そこに蘭庭院があったのではないかと言われています。
津軽三代藩主信義の時代に起きた「船橋騒動」、江戸からの留守居約船橋半左衛門と船橋の専横に耐えかねた老臣たちとの対立が起き、その後幕府がけんか両成敗の措置をとったため、船橋に味方した家老の乾四郎衛は伊予松山(愛媛県)の松平家に、兼平と乳井は長門萩(山口県)の毛利家に大名預け、流罪となりました。
その後の兼平一族は不幸な運命をたどり、庇護者を失った蘭庭院もいっとき衰退しましたが、見かねた二十二世の拙雄和尚が毎日勤行して供養、これが長勝寺に認められ、蘭庭院の維持管理を任されたといいます。老巧化がひどくなって修復され、昭和51年に完成、54年、市文化財に指定され、毎年9月5日に先祖供養を行っています。
現在の本堂、位牌堂、庫裏は、平成7年から五年計画で建設されたものになります。
(「こころ 津軽のお寺さん巡り 弘前編」より抜粋。)
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