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【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.45:明教寺(真宗大谷派)】

【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.45:明教寺(真宗大谷派)】

 明教寺の開基、玄竜上人は、常陸国鹿島郡高松(現在の茨城県鹿嶋市)で武士をしていた三明 竜太郎長頼の子でした。早くして父と死に別れたため仏門に入り、布教のため津軽にやって来たのだと言われています。また、苗字の三明は仏教用語でもあり、「自他身の過去の生死と未来の生死、現在の苦相を知り、一切の煩悩を断つ」という意味を持ちます。仏となる道のことを三明の路というのだそうですが、いずれにせよ珍しい名字です。

明教寺が、弘前・寺町(元寺町)に移転したのは慶安元年で、翌二年横町(東長町)から出火した火災に遭って同四年、現在地へ移転したことになっていますが、同寺に残る縁起には異なる記述があり、諸説あるようです。その後昭和十四年、火災に遭い、本堂のほか多くの寺宝を焼失しましたが、本尊の阿弥陀如来像をはじめ、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人、太子七高僧の御影像を描いた掛け軸等は災禍を逃れました。

 現在の本堂は昭和十四年の火災のあと再建されたもので、昭和二十年に完成しています。戦時中だったので、わずか二十五坪の広さしか許可になりませんでした。さらにその後、地域の子供たちの通学路を造るため、墓地の大部分が削られてしまいました。このため墓地も専徳寺南側の二か所に分かれてあるだけとなってしまいました。

(「こころ 津軽のお寺さん巡り 弘前編」より抜粋。)

#弘前公益社#津軽のお寺さん巡り#明教寺#真宗大谷派

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