【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.39:安盛寺(曹洞宗)】
【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.39:安盛寺(曹洞宗)】
安盛寺は、山号を萬松山(ばんしょうざん)といい、初めは深浦に創建されましたが、その後堀越に移転、さらに慶長時代に現在の地に移ったとされています。安盛寺を語るには津軽藩の家老で、開基の服部長門守康成を語る必要があります。
服部長門守は、関ヶ原の戦いの際、美濃大垣の陣中で手柄を立て、津軽為信に召し抱えられた知将です。関ヶ原の戦いは、為信が徳川方として出陣しましたが、長門守は西軍側の拠点であった大垣城に忍び込んで、城中を混乱させるなどの大活躍をしました。津軽家に召し抱えられた長門守は初めて津軽の地を踏み、治世に活躍します。為信が亡くなった後、二代信枚が家督を継ぐことになった際、長門守は幕府から後見役を命じられ、知行二千石で家老になっています。ところが、時代は変わって寛永9年、派閥争いが起こり、上席家老だった長門守は両派の和解に努力したものの、解決しないまま寛永12年に病死、安盛寺に葬られました。服部家は、子 左近が継いだものの、この騒動に連座して加賀藩に預けられ没落したということです。
安盛寺は藩政時代から再三修理を加えられながらもずっと原型を保ってきましたが、昭和40年頃、大がかりな改築を行い、同51年にも位牌堂を増築しています。
(「こころ 津軽のお寺さん巡り 弘前編」より抜粋。)
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