お知らせ

ヘッダーイメージ

【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.38:正傳寺(曹洞宗)】

【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.38:正傳寺(曹洞宗)】

 竜岩という人が薬師如来の尊像を預かり、小屋を建て、そこで供養していたところ日増しに信者が増え、この信者の方たちのご奉仕によって寺が建てられたと言われており、古い記録には松伝寺とあります。正傳寺は岩舘(平賀町)の斎藤勘助家の菩提寺でもありました。斎藤家は寛保年間から明治初年にかけて繁栄した豪農でした。単に大地主というだけでなく、津軽藩の産米を江戸で売りさばく権利を委ねられていたので、斎藤勘助という名前のほかに「堀尾勘助」という上方での商人名も持っていて、常に全国長者番付の上位に名を連ねていました。それほどの物持ちだったので、寺への寄進も多く、盆・暮れには一駄二俵(百二十キロ)ずつ二十三頭の馬を連ねて米を届けたものだと言われています。また、延亭4年には斎藤家独力で寺を再建、寄進したという記録も残されています。

 寄進したものの中で珍しいものは、小笠原伊勢信清の掛け軸であると言われています。伊勢は森岡金吾、兼平中書と並んで為信の三老といわれた功臣でしたが、為信が慶長二年、浅瀬石城(黒石市高賀野)の千徳政氏を滅ぼした直後に所領地の乳井(弘前市)を追われ、三ツ目内(大鰐町)に謹慎させられました。伊勢の娘が政氏の政康の妻だったからです。この軸には出家した伊勢の姿が描かれ、そのわきに伊勢自身の和歌が添えられています。四百年近くたって絵も、歌もかすれてきましたが、時代を感じさせる掛け軸です。

(「こころ 津軽のお寺さん巡り 弘前編」より抜粋。)

#弘前公益社#津軽のお寺さん巡り#正傳寺#曹洞宗

お知らせ一覧へ