【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.36:寿昌院(曹洞宗)】
【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.36:寿昌院(曹洞宗)】
寿昌院は元々、賀田にあったと伝えられています。当時の賀田には長勝寺をはじめ七つの寺院がありました。寿昌院もそのうちの1つで、のちに新里に移って「新里寺」とも呼ばれ、平川沿岸諸村の信仰を集めました。新里は「新田の意」であり、同地方では日沼、蒲田とともに津軽の「古村」となっています。また戦国時代は、平川を隔てて大光寺城下の籠田と相対峙し、豪族らが非常に重視した土地であったと言われています。
二代目藩主信枚は、為信の遺志を継いで高岡(弘前)城の築城に取り掛かかります。信枚は着工から1年ちょっとで、堀越から引っ越しをし、町づくりがひと段落した頃、信枚は寿昌院を現在地に移します。新里に寺が在ったのはわずか18年でした。賀田から新里へ、そして西茂森へと移ってきた寿昌院ですが、意外にその歴史は知られていません。
初開山は慶長12年となっていますが、代々出世立身した住職はいなかったので法もつんでおらず、記録もなく、延宝近くになって尾州出身の関遶和尚が開山したと言われています。創建されたといわれるだいぶ後のできごとでした。
(「こころ 津軽のお寺さん巡り 弘前編」より抜粋。)
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