【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.60:高徳院(曹洞宗)】
【津軽のお寺さん巡り~弘前編 第60回:高徳院(曹洞宗)】
高徳院は、禅林街の黒門をくぐって右側の六番目にあります。お寺の入口右側には山号である「金毘羅山」にゆかりの深い金毘羅大権現堂があります。
その発祥は新岡の地にあるとされ、戦国か安土桃山の頃、新岡一帯を支配していた新岡但馬という武将によって建立されました。但馬は為信の津軽統一に際して石川城や和徳城攻めに加わって手柄を立てた武将です。為信から認められて槍を褒美としてもらったのですが、その後何があったのか、浪人となり病死しています。但馬は「義高堅勇大居士」の戒名で過去帳に記録が残っています。彼の死によって一時はお寺も荒れてしまったのですが、その後の慶長年間に現在地へと移り、隣松寺二世梅永和尚が開基となって中興開山しました。
寺宝の金毘羅大権現は為信が船で上洛中、海が荒れて沈没しかけたので金毘羅大権現に祈願して太刀を海中に奉じたところ波が治まったという吉兆にちなんで、九世天勇和尚が勧請しました。仏法の守り神としてだけでなく、海の安全の神さまとしても信仰を集め、一時はその大般若会は列をなすほどの賑わいで禅林街でも随一だったと言われます。
またもう一つの寺宝として幽霊の掛け軸もあります。これはかつて嫁ぎ先に赤ん坊を奪い取られたうえに実家に帰され、無念の死を遂げた女性の霊を描いたものだそうです。江戸時代に檀家の人に供養を依頼され、今でも毎年8月13日に供養が行われています。
(「こころ 津軽のお寺さん巡り 弘前編」より抜粋。)
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