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【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.59:求聞寺(真言宗智山派)】

【津軽のお寺さん巡り~弘前編 第59回:求聞寺(真言宗智山派)】

 求聞寺は岩木山神社の右手、神社の駐車場と大鳥居をくぐって右へ進む道の先にあります。二代目藩主信枚が津軽家と領民の安泰を祈願して求聞寺法の荒行を行なったのが始まりとされます。寺名は「虚空蔵求聞寺法」からとったものであり、本尊である虚空蔵菩薩は虚空(大空)のように広大無辺の知恵と福徳を授けるとされ、“百沢の虚空蔵さま”として信仰を集めています。

 信枚が行なった求聞寺法の荒行は、真言宗の修行の中でも最も厳しいとされます。慶光院という僧が止めたものの聞き入れず、土に穴を掘って座し、命が10年縮んでも構わない、と十本の指を傷つけて血をささげ、領民の安泰や子孫繁栄、豊穣を祈願したとされます。またこの荒行を行なった寛永2年当時は、津軽家の跡目相続を巡って家中が対立したため、人心の統一を図る目的もあったとみられます。念願を成就した信枚はその後の寛永6年に求聞寺を建立しました。

 山道の入り口付近の蔵助川左岸には、昭和56年8月6日に起こった百沢災害で亡くなった22人の霊を祀る示現堂と供養のために建てられた慈母観音像があります。犠牲者の中には中興三世齊藤智道住職の弟である智猛氏をはじめ肉親7人も含まれます。惨状を目の当たりにした智道住職は供養堂の建立を発願し、岩木方面を中心に津軽一円から3,500万の浄財が集まったことで、御堂と慈母観音像が建てられました。

(「こころ 津軽のお寺さん巡り 弘前編」より抜粋。)

#弘前公益社#津軽のお寺さん巡り#求聞寺#真言宗

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