【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.49:天津院(曹洞宗)】
【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.49:天津院(曹洞宗)】
天津院は山号を白鷹(応)山といい、城郭のような造りをしています。昭和13年の火災によってかつての本堂が焼けてしまった後、戦時の物資不足や戦後の物価高騰を経て、先代である十九世住職故桐原道定師の代の昭和37年に現本堂が完成しました。「寺が焼けると住職も檀家も困る」として鉄筋コンクリート造りの耐火建築として24年ぶりに復興しました。
天津院は元々和徳城下の堅田にありました。同城主小山内讃岐守の滅亡後、かつて同氏と戦って戦死した大浦三代城主政信の菩提を弔うことにして存続し、その子である守信(津軽為信の実父)が再興したと言われます。政信の戒名は「天津先公大禅門」であり、近衛家の血を引いている政信の先祖が天津児屋根命(てんしんこやねのみこと)であることから「天津」が戒名に用いられ、ひいては菩提寺である天津院の寺名ともなりました。
天津院と近衛家の関わりはそれだけでなく、明治25年には近衛篤麿(貴族院議長)が来弘した際に同寺を訪れ、「天津禅寺」と揮毫した横額を贈っています。しかし上述の火災によって消失してしまったため、その後近衛文麿(第34・38-39代首相)に依頼し、揮毫してもらっています。この横額は寺宝の一つとして本堂に掲げられています。
(「こころ 津軽のお寺さん巡り 弘前編」より抜粋。)
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