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【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.57:袋宮寺(天台宗)】

【津軽のお寺さん巡り~弘前編 第57回:袋宮寺(天台宗)】

 弘前高校の正門、そのすぐ西にあるのが袋宮寺です。報恩寺や猿賀神宮寺、薬王院と並んで「津軽天台四山」といわれます。

 「天台宗諸寺院縁起志」によれば、熊野三所飛龍大権現の別当寺院(神社の祭祀や管理、運営を担うために隣接して建てられた寺院)である飛龍山東福院という寺が袋宮寺の前身であるといわれています。江戸時代に荒廃していたのを再建したのは2代目藩主信枚であり、夢のお告げを見たのがきっかけだといわれています。当時は樋ノ口に熊野宮と共にその別当寺院として再建され、その際に名前を袋宮寺と改めました。一時は三代藩主信義の側室が帰依した後に信政(四代藩主)を出産したことで社領の加増を受けたものの、天保年間には岩木川の洪水の被害を受けるなど、復興と衰微を繰り返したとされます。明治初年には神仏分離令によって寺が取り壊されたので、かつて津軽家の菩提寺であった報恩寺の塔頭(大きな寺院の敷地や周辺にある独立した小さな寺院)の一つであった無量院と合併し、現在地へと移りました。

 県重宝である背高観音(十一面観音像)は元は無量院の本尊でした。四代藩主信政が父信義の菩提を弔うために作らせたと伝えられます。高さは6mを超える大きな観音像であり、子供たちの健やかな成長や背が高くなるように願をかける民間の信仰が厚い寺でもあります。

(「こころ 津軽のお寺さん巡り 弘前編」より抜粋)

#弘前公益社#津軽のお寺さん巡り#袋宮寺#天台宗

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